歴史

財団法人猪之鼻奨学会の歴史については、鈴木正夫名誉教授(元猪之鼻奨学会長)が書かれた猪之鼻奨学会史(昭和43年)がありますのでその要約を以下に記します。

大 正4年11月の千葉医学専門学校奨学会設立趣意書には、「第一次世界大戦勃発にあたり、輸入に頼っていた医薬、機器等の途絶に遇って、わが国の医薬学振興 の必要を痛感し、時あたかも大正天皇ご即位大礼に際会したので、その記念を呼号して学内外に奨学会設立を呼びかけた」(発起人千葉医学専門学校長三輪徳寛 他378名)。その動機は他にもあり、三輪徳寛教授の在職25年記念に際して、医薬学振興の喫緊なことを痛感し、記念資金を核として学内外に呼びかけ、浄 財を集めて奨学会を設立され、1年後の状況は、会員総数1,131名、領収金額8,643円で、資産10万円を集め、その利子により会を運営するという当 初の壮大な目標は、昭和17年に達成された。

事業費は、研究補助、表彰、学資の貸与などに当てられた。大学の依頼を受けて、校地の一部を購入し大学に貸与し、その賃貸料が事業費の一部となったこともあった。大正9年11月財団法人猪之鼻奨学会と改名し、大正12年には、千葉医科大学が設置された。

第二次世界大戦後には本財団の基本財産の一半をなす有価証券は価値を失い、預金はインフレで目減りし、辛うじて土地の賃貸料だけが物価にスライドして財源となる状況となり事業は困難を極めた。

昭和24年本会所有の校地の国による買収の結果、本会は107万8千円を入手した。折から千葉医科大学昇格25周年記念の事業として、同窓会館建設が企画され、本会は50万円を寄付した。また、星久喜に1,973坪の土地を19万円にて購入し、薬草園として薬学部に貸与した。この頃の事業は、主として学生十数名に対する一人当り3千円の学資貸与が行われた。昭和26年頃から一般の寄付が次第に増加し、基本財産増加の要因となった。

昭和35年には、千葉大学医学部創立85周年記念に際し、記念事業として記念講堂の建設と記念誌の出版が計画された。本会はこれに協力し、星久喜の土地 を千葉市に売却し、3千万円と郊外に薬草園用の土地約3千坪を得た。この大部分を85周年記念会に無利子で貸与し、一部を寄付して記念会の事業を援助し た。昭和40年7月11日には、三輪徳寛先生顕彰式が、千葉大学医学部、薬学部、猪之鼻奨学会、第一外科学教室の共催により、落成した千葉大学医学部記念 講堂において盛大に行われた。

昭和42年度より、事業として、医学部および薬学部内の研究者に対する研究補助を開始し、学生への学資貸与の人数も増大した。その後は、経済の発展により、安定した事業運営が行われたが、中野町の薬草園用の土地は遠隔なため活用されなかった。

「このように、本猪之鼻奨学会は、設立以来52年を数え、その間規模は決して大きくは無いが千葉大学医学部と薬学部の歴史を通じて、その教官、学生、卒業 生等に対し、研究補助、学業奨励、学資貸与を中心とする奨学の実を挙げ、時には資金の貧弱に悩み、更にはその滅失の危険にさえ遭遇したが、歴代役員諸賢の 活眼と叡智とにより、常にその危機を脱却したのみならず、しばしばその財産を活用することによって数次にわたり、よく母学および関係機関の事業を経済的に 扶助し、その目的を達成せしめることに多大の寄与をなした。今その既往を顧みるとき、創立者三輪徳寛先生始め歴代の役員諸氏の努力辛労に対し、万石の感謝 を捧げるとともに、将来における本奨学会の発展を祈るや切なるものがある。」と鈴木正夫先生は結んでおられる。

その後しばらくは、安定した運営がおこなわれたが、平成に入るとバブル崩壊の影響を受け、基本財産の金利による事業の運営は困難となった。清水会長は平成9年に井出源四郎顧問(元千葉大学学長)の題字による奨学会報を創刊し本会の広報に努めた。

猪之鼻奨学会の現況は、その財源は基本財産の利子と、医学部と薬学部の同窓ならびに関係者からの寄付金によっていますが、近年の低金利政策により財団の経 理は厳しい状況となっております。この困難な時代に有志の方々からご芳志をいただき、これまで活動を続けてまいりましたが、平成17年度には事業の縮小を せざるを得ない情況となりました。

平成17年度からは公益法人制度の全面的な改革が進められております。これに関連して、去る平成15年7月および18年12月に、文部科学省の実地調査が行 われ、財団の運営状況について、事業が継続的に行われているとの評価を受けましたが、諸規則の不備等について指摘を受け、修正と規則の整備をしてまいりま した。公益法人制度の改革により、当財団の管轄に関する規則等が近く変更されます。

平成19年度から、医学部同窓会、および千葉医学会の援助を受け、事業内容の再検討と、公益法人としての資格獲得等による再出発をめざして更なる努力を重ねる予定となっております。

2007年7月18日
猪鼻奨学会長 千葉 胤道


(参考文献 財団法人・猪之鼻奨学会史  昭和43年3月 鈴木 正夫)